English+Music

英語ネタ、音楽ネタ、その他諸々雑記にて。英語ネタでは英検やGTECのライティングを中心に投稿。

場違いな場所に居てみるというチャレンジ

今年の目標の一つに「体と心を動かす!」が入っておりますヨーコです。この目標通り、今年はよく動いております。いつも、年に数回「友達と近くのカフェで駄弁る」くらいしか行事が無かった私ですが、今年はまだ4月だというのに、京都に2回行き、ちょっと遠出の花見に参加し、英語の会には隔週で通い、鉛筆画の教室に月一で参加し、ガイドの勉強会にも顔を出し、と週末にパンパンにスケジュールが入っている状態でフル稼働しています。

 

めっちゃ頑張ってる。

 

で、当然ですが、もう既にかなり疲れました(笑)。一応今の自分のリミットは把握しているつもりで、リミットを超えないギリギリで予定を入れているつもりですので、パニックには陥らずにおりますが、この間は、混んでいる特急電車で呼吸困難をおこしかけ、ちょっとビビりました。混んでると言っても、私は座っていたし、ギュウギュウって訳でもなかったんですが「ドアがなかなか開かない空間+酸素うすめでモワッとした空気=パニック」の図式よろしく、気分が悪くなりかけました。(乗り切りました。)

 

体が疲れていると精神的にも追い詰められやすいので、その辺りの自分の調子をしっかり見極めないといけません。が、体力をつけてもう少し行動範囲を広げたい、という気持ちもあるので「少し無理する」状況が続いている感じです。ずっと「大事をとって」行動していると、いつまでも同じ位置に立ち止まっている感じになっちゃうもんね。

 

物理的に「あちこちに出かける」というだけでなく、「色々な人々に混ざってみる」という精神的に「少し無理する」という事にもチャレンジしている日々です。「色々な人と交流すること」を「チャレンジ」と認定している辺り、すでに閉鎖的な人間であることの証のようでありますが、「色々な人と交流すること」は私にとってはまさに「チャレンジ」なのです。

 

「私」をキャラクター分析して今風に言うと「陰キャ極めてる」という表現になるようです。娘に言わせると「学校に居ても、まあ友達にはならないよね~。」という立ち位置にいる人間らしいです。確かに。学校(特に中学、高校)のポピュラーなチームとは、交わる気すら無かったですね、私自身。「違う世界の人達」と認定した人々とは、外交的な挨拶は交わすものの、じっくりお付き合いしてみよう、という行動に出た事はありませんでした。

 

それは、今までの人生のどの時期を切り取っても、「私」が無理することなく「私」のままで居ても、その私を「面白がってくれる」人が必ず数人いてくれて、気心のしれるお友達関係がその人達と築けていたからだと思います。「独りぼっちすぎる…」と思った事は無いのです。多少「一人」で居ても、すぐに寂しくならないという性格も功を奏してか(?)、社交的にあちこちに顔を出すという事をしなくても幸せに楽しく日々を送ってきたわけです。

 

私は「ここは私には場違いだなぁ…」といった事を敏感に感じ取るタイプでもあります。自己防衛的に「自分が貶められそう」な所には立ち入らない、という本能が働くタイプ、って事でしょうか。「場違いだ」と思う所に居ると、自分の存在意義が分からなくなるし、気持ち的に苦しいばかりで、とても辛いのです。私は確かに外から見たら「陰キャ極めてる」かもしれないけど、自分的には自分の事を気に入っているのです。「場違いな所」にいると、その「自分が気に入っているはずの自分」がチッポケで価値の無いものに思えてきたりするから、そんな危険な所には長居は無用!だと思ってきたのです。

 

そんな私が「色々な人と交流してみる=場違いな場所に居てみる」という事をしているわけです。チャレンジ以外のなにものでもない。なぜ、40代も半ばを過ぎてこんな事をしようとしているのか?1つには、この年になって「場違いな場所ってなんやねん?!!」という半ば怒りのような疑問が沸々と湧いているから、です。そしてもう1つは「場違いな場所が場違いでなくなる日がくるのか?そしてその先に広がる世界はどんな風に見えるのか?」という素朴な疑問からです。

 

「場違いな場所」って何なのでしょう?私にとっては、それは「居心地の悪い場所」「自分を認めてもらえない場所」だなあと思ってきました。例えば、1月に入会した「英語の会」、入る前から、同じ年代の人も少なそうで「場違い感」があったのですが、何回か参加してみてやっぱりダイブ場違いな事が判明しました(笑)。若い人が多いし、職歴などが皆さん輝かしいんだわ!現役でバリバリ働いているし!

 

その英語の会は、とても素晴らしい会なのです!なのに残念なことに、私の中には常に「場違い感」が巣くっています。それは、簡単に分析すると様々な劣等感から生まれていると思われます。

私はみんなより年寄りだ。

魅力が無い。

英語以外なんにもやっていない。

面白いエピソードもない。

キラキラした履歴を持つ方々、チャーミングな方々に囲まれて「私って一体…?」と思わない日はありません。これはもう被害妄想です。そう。「場違い感」って実は「被害妄想」なんじゃないか、と最近思い始めています。

 

「陰キャ」と娘に認定されたことからも、周りの人が私に抱く「私のキャラクター」ってものが存在するのも事実でしょう。でも、実は、「場違い感」のほとんどは「勝手に自分が作り出している「私、ここにひさわしくない」っていう被害妄想」。周りの人は、そこまで「あなた、この場所にふさわしくないわよ」なんて思ってない。まあ、ちょっと違うよね、とは思っていても「居なくなって欲しい」とか「排除したい」なんては思ってないことがほとんどだと思う。

 

もう一つ、ネット上で参加させてもらっているグループでも「私の場違い感」は突出しているように思う。私以外の人は国際結婚をしていたり、外国に住んでいたり、日本に居る人も様々な活動をされていて、皆さん視野が広い。ここでも「私って一体…?」状態。でも、やっぱりそこでも、ただ単に私が「私はここに居ても良いんでしょうか…?」と勘繰っているだけなのだと思う。

 

周りは特に何とも思っていないのに、自己分析で「私ってここにふさわしくないよね」と決めつけてその場から遠ざかる。というルーティーンから、一回外に出てみても良いんじゃないかな、と思い始めているのです。これが職場で、みんなに迷惑をかけまくる、とか、自尊心が傷つきまくる、なんていうのであれば、すぐにでも逃げ出した方が良いと思うのだけど、そこまでドップリと関わり合っているわけでもないグループに、そこまで神経質に「場違い感のアンテナ」を発揮しなくてもよいかと。

 

そして、「あー、やっぱり駄目だった!無理だー!」となって、後々逃げ出すことになったとしても、別に全然良いし。もとの場所に戻るだけで別になんのマイナスもないのです。むしろ、その場所で感じた様々な事は自分を広げるツールの一つになるでしょう。残念な経験も経験値なのです。

 

「場違いだと思ってたけど、なんだか慣れてきて、世界が広がってきた!」という経験が出来るかもしれない!という期待があるだけでもチャレンジする価値はあしますし。だって、今まで繋がってこなかったような方々ばかりなのです!世界が広がるに決まってるんです!

 

この「場違いな場所に居てみる」というチャレンジで、私が一つだけ守ろうと心に決めているルールがあります。それは「その場の雰囲気に無理に合わせない事」です。私は私のまま、その場所に居るっていう事です。私のままでいて、そのグループの中心になれるような所ばかりに今まで居たわけだけど、私のままでいて、そのグループの中心的な流れとちょっと違う立ち位置だったとしても、居心地がよく感じるようにしたいって思っているからです。

 

だって、自己改革だ!とかって新たな自分を作り出すかのように、新しい場所に頑張って関わっていくのは、ちょっとしんどいです。多分、疲れすぎます。ただでさえ自分に懐疑的になる瞬間が多いのに、それ以上頑張ったら早々に壊れそう。それに、確かにそういうガッツも大切な時があるけど、それ以上に「頑張らなくてもそこに居て心地よい」という空間を増やす方が心にも体にも良いと信じているから。

 

さて、どんな結果になるのかな。

新しい人との繋がりで、世界が広がるといいなー!

1年後にどんなことを思っているのか、今から楽しみです。